Tuesday, June 24, 2008

バンド・ワゴン

ニューヨークを舞台にしたミュージカル映画は数多いと思うが、この一本といわれれば、やはりヴィンセント・ミネリの「バンド・ワゴン」が真っ先に思い浮かぶ。

夜のセントラルパーク。プラザ・ホテルから馬車にのるアステアシド・チャリシー。広場にたどり着き、ガーシュインのDancing in the Darkにあわせて華麗に踊り、いつしか恋に落ちている事に気づく二人。

50年代MGMミュージカルの中でも傑出したシークエンスだと思う。

この前の土曜日、今週号のTimeを読んでいたら、シド・チャリシーが7月17日に86歳で亡くなったと 言う記事を見つけた。
カーネギーホールでシド・チャリシーが他の往年のミュージカル・スター達とともにThat's Entertainmentを生で歌うのを聴いたのがもう9年ほど前。その時はまだ生きていたのか、と驚いた…。今回は年齢的にかなり高齢なこともあり、記事自体には驚きや悲しみといった感情は一切なかったのだけれど、奇妙な空虚感というか、失礼な言い方かもし れないが、ポケットに入っていたはずの小銭を実はなくしていた事に気づいた時のような、ちょっと損をした感覚におそわれた。

彼女の死亡記事はページ下のわずかなスペースに、切り抜きの白黒写真とたった3行の紹介文のみ。昨年、ベルイマンとアントニオーニが立て続けに亡くなったとき、同じTimeには見開きで2ページ(3ページであったかも知れないが、すでに記憶が定かではない)で追悼記事があったのとは大きな違いだ。もしかすると、これが「ちょっと損をした」感覚の原因かもしれない。

身内の「死」と言うものは事故/事件など突発的な場合をのぞいて、それは相対的にゆっくりとやって来る。心の準備、といえば聞こえがいいが、ある意味、来るべき日がいつかくると言う状況へ次第に慣れるのだと思う。
少 なくとも、これまでの僕個人の人生においてはそうであった。ところが、間接的あるいは一方的にしか知らない人物の死と言うものは常に突然訪れる。

6月17日、シド・チャリシーの死は僕にとってやはり突然だった。


翌日の日曜日、なにげなくテレビをを観ているとローカルニュース局のNY1がその日に起きた過去の出来事を紹介していた。いくつかとりとめもないニュース映像のあと、白黒画面で踊るアステアの映像が「1987」と言う数字とともに映しだされた。

そう、アステアは1987年、6月22日に亡くなっていたのだ。

彼がすでに亡くなっている事は承知していたが、亡くなった日までは知らなかった。2人の亡くなった日付があまりに近くて驚いた…。

Wednesday, June 18, 2008

シネマとグラフ

正確にはシネマトグラフなのだけど…。
先日、妻とMOMAのメンバーシップを更新してThe AICP Show at MoMA, 2008を観たあと、二人でなんとはなしにロックフェラーセンター前にある紀伊国屋書店へ向かった、が…紀伊国屋書店が閉店、いや引っ越していたのだ。さっそくiPhoneのGoogle Mapで調べたところ、移転先は6番街と41丁目との事。天気もよくそれほど遠くなかった事もあり、徒歩にて行ってみる事にした。

こぎれいな真新しい店内はカフェもあり落ち着いた雰囲気。移転前の混雑さはなかった。日本語書籍だけではなく、英語の日本関連の書籍も充実している。入り口を入ってすぐの陳列は好き嫌いの別れるところだろう。僕は好きではない。

前置きが長くなったが、なんと、この紀伊国屋書店ですっかり購入を諦めていた書籍を購入できたのだ。

ロベール・ブレッソンの「シネマトグラフ覚書」。記憶に間違いがなければ1997〜98年頃から絶版であった。当時、どうしても読みたかった僕は、大学の図書館勤務であった姉に簡易製本という方法で全ページをコピーをしてもらい、わざわざ日本から送ってもらったのだった。その後、英語版がアメリカで出版され、それも即購入。同じラテン語ルーツなだけにオリジナルのフランス語に近い語感になっているのでは、と勝手に思っていた。その後、フランスへ行く機会があり、カルチェラタンの書店にてフランス語版も購入(!)ただ、フランス語にうとい僕はいまだオリジナルでブレッソンの言葉を解釈できないでいる。

先日購入するまでまったく知らなかったのだが、「シネマトグラフ覚書」は2006年に「書物復権」という企画で上位に選ばれ、めでたく復刻したのだそうだ。

「シネマトグラフ」とう単語、ブレッソンが自ら求める映画のあり方を他の映画(シネマ)と区別するために用いているのだが、もう一人、シネマトグラフを提唱する人がいる。それが、ジャン・コクトー。

コクトーの「シネマトグラフをめぐる対話」は今も出版されているのだろうか?

ちなみに、復刻された
「シネマトグラフ覚書」はカバーをとると艶のある黒(絶版になったオリジナルも同様)シネマトグラフをめぐる対話」は布地の白。なので、僕はこの2冊をシネマトグラフの黒本/白本と勝手に呼んでいる。まるで、新しいiPhoneのようだ…。

はじめに

ぼちぼち書きたい事もたまってきたので、始めてみようかと思う。Keyframeは僕にとって日々接する身近な単語。時間軸における変化の起点。このブログでは大小かぎらず、僕が感じたKeyframe達について書いていくつもりだ。